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伊達市梁川町保原町の学習塾・志学白雲館 はくうんかん児童クラブ

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インフルエンザにご注意を

今朝は雪が降りましたね。

冬期講習が終わって、

センター試験も終わって、

春のような日が続くと思ったら

逆もどり。

寒暖の差に注意しないとですね。

 

今、インフルエンザが流行っています。

昨年、大事な時期に

自分もかかってしまいました。

手洗い、うがいを励行し、

毎日乳酸菌を摂取しても、です。

今年は校舎に空間除菌ができるやつを

たくさん置きました。

手に散布する除菌アルコールも

リットル単位の詰め替えを買って準備した。

 

それでも油断できません。

罹患したと思ったら、

休んでください。

健康第一です。

 

大学に向けた準備

午前中外に出てみると、

春の匂いがしました。

今日は二十四節気の大寒のはずなのに。

湿り気のある土の香り。

暦では1月ですが、

季節感は少しずれているように感じます。

 

さて、センター試験も終わりました。

昨日は研修もあり、

じっくり目を通すこともできていませんが、

来年の共通テストを意識した問題、と

聞いています。

一発勝負のセンター試験です。

良かった教科も、

振るわなかった教科もあるでしょう。

それまでの三年間の

いや中学時代からの準備が

問われている気がします。

 

中学生の授業の中で、

時々大学の話をします。

「高校受験を前にして大学の話?」

と思われるかもしれませんが、

どの高校に行くか、によって

行ける大学が変わります。

 

都市部の中学校受験がある地域では、

小6卒業段階で、

進路について考える機会があります。

「大学を目指すなら」と。

そこから6年間の準備が始まるわけです。

 

一方、高校入試が初めての受験となる

福島県をはじめとする地方では、

そこまでの意識があるとは言いがたいです。

 

地方だから不利だと言いたくないですが、

環境や情報量によっては、

そういう面も出てきてしまいます。

 

どうやったら、希望の大学に入れるか。

そのために自分たちは何ができるか。

今、来年度の企画を考えています。

今まで培ってきた土台の上に、

何を乗せられるか。

試されている気がします。

 

よし、志事すんぞ!

さぁ、いきましょー♪

 

無から有へ、ブラックからホワイトへ

本日センター試験が実施されています。

飯坂電車で昨夜トラブルがあったようですが、

大きな混乱は聞こえてきません。

努力した成果が出ますように。

 

さて、世の中が常に変化をしていくわけですが

今まで当然のようにあったものが無くなると、

困ることがあります。

当たり前が、当たり前でなかったと

気づかされる時があります。

 

逆もしかり。

今まで当然のように無かったものが

求められるようになってくると、

困るというか、

どうしていいか分からず

困惑することがあります。

よくよく考えれば有って然るべきものでも

なんで無かったんだろうと思ってしまいます。

今までできなかった理由は何か、

実現に向けて必要なものは何か、

考えさせられます。

たとえば、

多くの会社では有給休暇制度があるそうですが、

恥ずかしながら

自分は有休をとったこともないし、

どういう仕組みでとることができるのか

考えたこともありませんでした。

もともと実家は自営業で、

定休日なんてありませんし、

働かなくてもお給料が入るわけでもありません。

有給休暇を知らないわけです。

ですが、今はそんな時代でも、立場でもなく

有給休暇は当たり前の時代、

むしろ取ってもらわないといけない立場にあります。

講師の先生たちが

有休をとれるようにするには、

どうするかを考えました。

ようやく、制度も実現してきましたが、

それ以外にも課題はあります。

 

この業界、ブラックだと言われますが

課題に気づけていなかったというのが本音です。

それで苦労することもありましたが

そういうものだと思ってた節もあります。

それが、

だんだんと世の中が変わってくると、

自分たちが見えてきて

ブラックな部分が際立ってきます。

自分たちが苦労してきたことを、

そのまま次の世代に残さないことが、

業界の中堅にいる人間の使命なのかな、と

思うようになりました。

無から有へ、

ブラックからホワイトへ。

 

まだまだ、まだまだ

夢の途中です。

勉強します。

 

よし、志事すんぞ!

さぁ、いきましょー♪

地域で子どもを育む環境

昨日は月命日でした。

墓前に手を合わせてきました。

もうすぐ8年です。

時間が過ぎていっても、

気持ちに変わることはありません。

自責の念は消えません。

消えちゃいけないと思っています。

交通安全を心から願っています。

歩行者自転車の方は明るい服装を。

お車の方は早めの点灯と安全な速度を。

 

それから今日は阪神淡路大震災から25年ですね。

テレビの画像が、

特撮なんじゃないか、と思いたくなる惨状は

高校生だった自分にとって

忘れられないものでした。

あれから時間は立ったものの、

人類は自然の脅威を克服できるはずもなく、

その時々の災害に下を向きたくなるのですが、

人間は強いもので、

何度でも立ち上がり、

涙をぬぐって前を見て、

歩き出すものだということも思い知らされます。

 

さて、お迎えの際に

保護者とお話しすることがよくあります。

塾での様子をお話しすることもありますし、

相談されることもしばしばです。

お子さんである塾生のこともありますが、

地域のお子さんのことも相談されます。

全員ではないだろうけど、

地域で子どもを育む環境って、

こういう事なんだろうな、と思うのです。

他人の子供も、我が子同様に

褒め、叱りするって、

なかなかできないことです。

 

時にお節介だと思ったり、思われたり

するかもしれませんが、

お節介を焼くのも、焼かれるのも、

困っている姿を放っておけないからだと思うのです。

すべての困りごとを解決できるわけではないけれど、

それでも我が事のように、

動いてしまう。

哲我的に言えば、

自分とは、自分が認識したすべて、ということですかね。

困ってると知ってしまったら、

それは自分の困りごとになっちゃうんですよね。

 

地域で子どもを育む、って

それほど難しいことでもなくて、

通りかかった子供にあいさつする、

それだけでも

きっかけになる気がします。

自分も学童の子どもが帰ってくるときは

施設の外に出て立哨しますが、

下校する子供たちに

「おかえり」「きをつけてね」と

できるだけ声を掛けます。

少しでも、

子どもたちの安全安心に役立てればいいな。

 

よし、志事すんぞ!

さぁ、いきましょー♪

AIにさせたいこと、AIにさせたくないこと

ネットニュースで流れてきたのは

萩本欽一さんの仮装大賞の話題。

一緒に司会をする慎吾ちゃんが

体調を心配してのことだと思うけれど、

欽ちゃんのAIに司会してもらおう、っていう話。

それって視聴者は見たいのかな。

私は、やっぱり欽ちゃんは欽ちゃんがいいし、

慎吾ちゃんは慎吾ちゃんがいい。

NHKでやってたAIの美空ひばりも面白かったけれど、

美空ひばりさんではもはやないものな。

 

AIの有用性は分かるけど、

万能ではないし、

人の持つ神聖には及ばないと思いたい。

欽ちゃんの面白さや、

慎吾ちゃんのカリスマ性や、

ひばりさんの魅力は、

限られた生命を持つ人間にしか持ちえない

尊さだと思うのです。

 

仮にAIで自分のコピーができたとしても、

自分と同じ授業はできないと思う。

なぜなら、

そこにいる子どもによって、

言葉を変えたり、

話題を変えたりするので、

一度として同じ授業にはならないからです。

そこには人対人の授業のもつライブ感があるはずです。

 

逆にAIにさせたいことは

個人のスケジュール管理や

進捗の確認、

スモールステップの徹底といったことは

AIに向いているのかな、と考えます。

 

これからAIが生活の中に入ってきます。

そうすると

今までの経済の原理原則も通用しません。

人間だからできること、

人間じゃないとできないこと、が

これからのキーポイントになっていくと思いました。

 

よし、志事すんぞ!

さぁ、いきましょー♪

学ぶということは

やっと雪が降りましたね。

ちらちら降る雪もありましたが、

積もりました。

暖冬で、スキー場や雪まつりにも

影響が出ています。

生活するうえでは問題はなくても、

経済的には、

冬は冬らしくないと、

困ることもありますよね。

暖冬=幸せとは限らないのが現状だと思います。

同じ事柄でも、

有利に働く人がいたり、

不利になる人もいるのが社会です。

だからこそ、

決断によって導き出した答えが、

正しいとは限らないわけです。

 

そう考えると

生徒児童がやっている正解がある問題ならば、

どれほど楽なことか。

行きつく先には必ず正解があるんですから。

 

でも、社会の中で生きていれば

正解がないことばかり。

仕事だって、恋愛だって、家庭だって、子育てだって。

それでも選択をして、

責任を負わなければならない。

 

だとしたら

学ぶ人は、

後悔がいない正答に近づく努力をしているんだろうな。

 

結果は、誰にもわからない。

だから、

決断する時には、

より確からしいものを選択できるように。

 

よし、志事すんぞ!

さぁ、いきましょー♪

学年末テストに思うこと

今日はいろいろあってこの時間のアップです。

簡単に言うと、

講師の子供も預かったのですが、

やっぱり幼児教育は、また違うなぁと

思いました。

そして、保育士さんや幼稚園の先生は

スゴイトいうこと、

世のお母さんたちも

スゴイトいうこと、も

思い知らされました。

さて、今受験生たちは、

私立高校入試に挑戦しています。

入試前に不安を見せる子もいれば、

入試が終わってほっとした表情を見せる子もいます。

そんな中、中学校では学年末試験があります。

しかも、今週の学校もあります。

ほとんどの中学校では、

私立高校入試が終わった来週に行われますが、

今週ですか、

今週やらなければならないですか、

と思ってしまいます。

 

学校が始まって1週間。

テスト範囲が発表されて1週間。

それでテキストをやりきって

できるようにするには時間が足りないと思うのです。

 

聞くところによると、

学年末は評定に関係ないから、

ということらしいのですが、

その考え方にも疑問を覚えます。

テストは、

生徒の理解度を測るものでもありますが、

先生方にとっても教え方の

確認でもあると思うからです。

ある程度の期間準備をさせることも、

学習の計画力を身に付けるうえで大切ですし、

県立入試の勉強のためにも

今、しっかり徹底してほしいのに。

 

学校には学校の考えもあります。

早くテストを終えて

県立入試に備えようとしてるのかもしれません。

すべてはわかりません。

ですが、

力を抜いていいテストがある、と

思わせてしまうのは、

ちょっとな、と感じました。

 

自分のための他人との比較

さっそく友人からいただいた本に手を付けてみた。

いろいろ気になる本はあるのですが、

まずは「都道府県格差」を読了。

格差社会といわれるようになって久しいですが、

本の中では、

経済、健康、教育、福祉などの生活にかかわる

様々な要素をデータによって

ランキング化していました。

福島県が、どの位置にあるのかを

数値によって知ることで、

自分ができる改善ポイントについて

考えさせられました。

 

格差が広がっている、と言われても

実際に格差を実感することは

ほとんどありません。

その理由は、

他と比べる機会が少ないからです。

満ち足りている、とは言わないまでも、

今が当たり前だと思っていれば、

格差だとは気づけませんから。

 

自分とは一体何か、

哲学における初歩的な命題でもありますが、

自分が認識できる自分というのは

決してすべてではありません。

むしろ自分の周りの状況が、

自分を形作ってくれるということがあります。

 

外の世界を知ることによって、

自分を知ることにつながるわけです。

自分を見つめるのも大事ですが、

内省ばかりでは足りないということです。

 

新教研や定期テストの結果も、

自分の点数、だけでは

自分の実力を映し出しきれません。

偏差値や順位といった比較があって

より、自分の実力が見えてきます。

進学校に行きたいからがんばる、と

口にしていても

努力が伴わなければ

夢はかないません。

周りの人の点数や順位は知らなくても

努力する姿は見て取れます。

まずは、同じ努力を、

そこから、さらなる努力を重ねることも

比較だと思いますよ。

 

自習室では、すでに受験生が勉強をしています。

最大限の努力は

きっとあなたを変えてくれます。

 

よし、志事すんぞ!

さぁ、いきましょー♪

用語は入試のためにあるのではない

今日は伊達市で成人式が行われました。

朝から、卒業生の保護者様から

振袖を着た塾生の写真を送っていただいたり、

スーツを着た塾生たちが顔を出してくれたり、

うれしい時間を過ごしています。

みんなのご多幸を心から祈ってます。

 

新成人と話をしてて

「振袖着た子も多かったか?」と聞くと

「はい、男子でも着てました!」と。

ん?ああ、そういう時代なのか。

俺が古いんだなぁ、と反省してたら、

振袖=和服、だと勘違いしてたらしく、

羽織袴も振袖だと思っていたようです。

まったく、もう、です。

言葉の意味を、もっと教えていかないと、と

考えてしまいました(笑)

 

さて、中学生に公民を教えていても、

教科書に書かれている用語の持つ意味を

大人は一緒に考える必要性があると

思ってしまうのです。

終身雇用や年功賃金といった雇用形態が

成果主義や能力主義に変わる企業も増えてきている。

最近では正規雇用から

非正規雇用の割合が増えてきている。

 

教科書の字面だけ見ていると

あ、そうなのか、位かもしれませんが、

そこに

どうしてそういった変化が起きているのか、

どんな考えや感情が含まれているのか、

といったことが

読み取れないと思うのです。

 

そこにはメリットもデメリットもあります。

メリットを享受する人も

デメリットに苦しむ人もいます。

大人は自分の経験や知識から、

用語を取り巻く状況を含めた意味まで

一緒に考えていかないと

知ってるだけで、

使えない知識になるように思います。

 

西洋では一般的な成果主義や能力主義の

有用性も理解できますが、

日本の終身雇用だって、

悪くない制度だと思うのです。

どちらかが正解、ではありません。

 

今会社に必要な人材を手に入れるための

能力主義だってありです。

自分の会社で一から人材育成をしていく

という観点からすれば終身雇用だってありです。

 

「みんなはどっちがいい?」

答えは様々です。

それでいいんだと思います。

15歳の今の答えが

ずっと続くわけでもないでしょうし。

自分が就職するとき、

結婚するとき、

ひょっとしたら起業したとき、

また違う答えになるかもしれません。

 

用語は入試のためにあるのではなく、

生きていくためにあるのだと

感じてくれたらな。

 

今日は中3のテスト対策で

梁川校は開校しています。

今できる最大限を。

自分史上最高目指して。

よし、志事すんぞ!

さぁ、いきましょー♪

認知能力を高めるゲーム

朝から動いてすでに眠い代表渡辺です。

講習中はできなかった仕事を

一つ一つ片付けなければなりません。

職場を離れて

あっちに行き、こっちに行き。

まぁ、そういう仕事もありますわな。

 

さて、先日読んだ本の影響を受けて

認知能力の向上をもくろんでいます。

まずは、学童の子どもたちと

楽しみながら能力開発をしていこうと考えています。

 

はくうんかん児童クラブでは

学童保育と教育を合わせた形をとっています。

必ず時間を決めて、

学習に取り組んでもらっているのですが、

学校から課される宿題だけでなく

音読を見ることもありますし、

自学の際にドリル形式の勉強にも

取り組んでもらいます。

 

そういった、いわゆる勉強もちろんするのだが、

それだけで認知能力が向上するものでもないと考えています。

むしろ遊びながら、楽しみながら

考えて、失敗して、成功して、を繰りかえすことで

自然と力が付くようなゲームのほうが、

向いているように思うのです。

 

ということは、毎日接することができる学童は

最適な気がしてなりません。

合間の自由時間に

夢中になれるゲームをする中で、

昨日よりも今日、今日よりも明日が、

うまくなっている手ごたえを感じながら、

認知能力を高めていけたら。

そう考えています。

トランプやオセロといった

定番のゲームも準備していますが、

先日購入したのは、

「ナルハヤのつるぎ」というゲーム。

6枚のカードを使って、

指定された形を作る、簡単なゲームですが、

これがなかなかどうして、

指導員の先生も、

あれ、できない、ということも。

絶対できるはずなので、

諦めなければできるんですが、

できそうでできないのが、

また面白いんですね。

 

ま、子どもたちが

「なるはややろう」

「次の形は何?」

と、楽しんでくれているだけでも、

うれしんですが。

 

よし、志事すんぞ!

さぁ、いきましょー♪

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