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伊達市梁川町保原町の学習塾・志学白雲館 はくうんかん児童クラブ

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子どもがいますよマーク

子ども叱るな、来た道だ。

年寄り笑うな、行く道だ。

よく言われることですね。

私もよく自分に言い聞かせる言葉です。

みんな、子どもだったわけですし

みんな、年をとるわけです。

未熟で迷惑をかけることも多々あります。

当たり前に出来ていたことが、

出来なくなってしまうこともある訳です。

先日ニュースで考えさせられたことがあります。

最近、航空機の座席を選ぶ際に、

幼児が座っている席が分かるように

事前にマークがつくようになったらしいですね。

これって誰のために付けたのでしょう。

お母さんにとっても子どもにとっても不要だろうし、

他の人が避けるためなのでしょうか。

だとしたら、ちょっとがっかりです。

 

長時間拘束される機内で

できるだけ快適な時間を過ごしたい、

そう思う気持ちが分からないわけではありません。

ですが、子どもが多少騒いだりするのは、

仕方のないこと、自然なことだと

思うのです。

もちろん他人に迷惑をかけるようであれば、

注意をしますが。

 

袖すりあうも他生の縁、という言葉があります。

それも自分ではどうすることもできない

ご縁の一つだと思うのです。

個人のプライベートな空間ではない以上

自分の意にそぐわないことがあっても

それが社会ですし、

それに適応するのが社会性だと思うのです。

 

仮に、

子どもがいますよマーク以外のものがあったら

どう感じますか?

障碍者がいますよマーク、

外国人がいますよマーク、

日本人がいますよマーク、

有色人種がいますよマーク、

老人がいますよマーク、

オッサンがオバチャンがいますよマーク、

特定の宗教を信じてる人マーク、

必要ですか?

あなたが当てはまるマークがあったとしたら、

どう感じますか?

 

多様性を許容しない社会は

自分自身が許容されない社会になる危険性があると

思うのです。

間違えたい子どもたち

テストでは間違えないことが望ましいけれど、

間違えるということ自体は悪いことではない。

間違えた部分こそ、

その人にとって大事な部分だからです。

勉強をすると言ったとき、

成績上位者と成績下位者で

やっていることは同じではありません。

例えば英単語のテスト勉強にしても

与えられた範囲の単語を

まず全部10回ずつ書くとかしだすのは

下位者に多いです。

そして、ノートが埋まって満足して終わります。

上位者は、

まずテストをして

できないものを見つけてから練習します。

練習も、

日本語から英語に言えるか、

さらに日本語から英語を書けるか、と

ステップアップさせて、

最後にテストをして、

できることを確認して終わります。

大事なのはやることではなく、

できること、だと理解しているから

違ってくるわけです。

 

問題を解くことは勉強ではなく、

間違えてからが本番です。

なぜ間違えたかを、

理解し、一人でできるようになって

初めて向上するからです。

 

そうなると、

成績上位者は間違えるまでが大変です。

学校のテスト対策用の

簡単なテキストだと間違えませんから。

塾にある受験用のテキストや、

入試の過去問などを取り組みながら、

「今の自分では」できない問題を見つけたとき

やっと向上できると感じるようです。

 

彼らは間違えたり、できないことが

嫌いではありません。

自分の間違いを直視することは

向上の鍵です。

グレタさんは、善か悪か

沖縄県の某町役場の町税課を名乗る電話が来ました。

詐欺かな、と思って番号を調べたら

どうやら本物。

沖縄なんて住んだこともなければ、

行ったことすらないのに!?

うん、間違い電話でした(笑)

向こうは平謝りでしたが、

沖縄の話し口調は新鮮でした。

あったかいんだろうなぁ。沖縄。

 

東北に住んでると

暖かい気候はうらやましく感じますが、

地球規模で考えるとそうも言ってられないのが、

温暖化などの地球環境問題です。

世界規模での対策が求められていますが、

各国それぞれの利害もあり、

統一した基準はつくられていません。

 

そんな中、2019年の顔と言うべき人が現れました。

環境問題ついて提言をしたグレタさんが

TIMEをはじめ

さまざまなメディアに取り上げられています。

涙ながらに温暖化阻止を訴える姿に

多くの人が共感を覚えました。

私も感じるところは多々あります。

子どもを先頭に立たせてしまっているのも

恥ずかしく思うし、

今の生活と温暖化を天秤にかけて

気後れしてしまう自分もいます。

まずは自分ができることから

やるべきなんだろうな、と思うところです。

 

一方で、

少女が涙を流して訴える衝撃だけで

彼女の言っていることが全て正しいかのように

彼女に従わない国々が悪であるかのように

判じてはいけないとも思のです。

 

グレタさんは先進国の子どもであり、

経済力の恩恵を少なからず受けられます。

経済の発展によって失われた自然環境に関して

自らの国の歴史を省み、改めようとする姿勢は

持続可能な社会を目指すうえで、

すばらしいことです。

ですが、全ての国が

豊かな経済を持っていませんし、

全ての子どもたちが

経済の恩恵を受けているわけではありません。

途上国には途上国の

新興国には新興国の言い分もあるはずです。

仮に、飢餓に苦しむ子どもたちが涙ながらに

工業発展の必要性を訴えたら、

世界はどう反応するのでしょうか。

グレタさんは、善なのか、悪なのか。

どちらでもないはずです。

立場によって、見え方が変わるだけです。

 

経済発展と環境問題という

両方を解決するように

世界が協力して動いていけばいいのですが、

今のままだとグレタさんは

環境問題の偶像にまつりあげられ利用されたり、

経済発展を望む人たちの敵に仕立て上げられたり、

なんの解決もしないまま

あの人もいたね、と

時々思い出されるだけの人になってしまいそうです。

 

誰がどう言ったか、よりも、

何を言ったか、その中身を冷静に判断し、

見る目を持たなければと思うのです。

そして、そこから

自分に、自分たちについて考えるだけでなく、

別な立場にも思いをはせることが必要です。

日本をはじめとした先進国は、

環境問題と経済発展を両立する技術の開発に

次の可能性を見つけるべきです。

ノーベル賞を受賞した吉野博士は

リチウム電池を開発されましたが、

もっと効率のよい電池を開発するとか。

 

第二のグレタさんが現れなくてもいいくらい、

地球環境を良くするよう、

私たちの世代で改善の兆しを見せたいものですね。

脳を書き換える

志学白雲館にはいろいろな子が来てくれる。

学年トップの子もいれば、

勉強が苦手な子、嫌いな子までさまざまです。

勉強が苦手な子や嫌いな子は

いろいろな経験を必要とするので、

講師経験の長い先生が担当することが多いです。

はい、私もその1人ですね。

ADHDやLDといった発達障碍の子どもたちを

ボランティアでケアしてきた経験や、

家庭教師や塾講師として

多くのお子さんを預かった経験が

少しでも地域のお役に立てればとおもっています。

 

さて、勉強が苦手な子や嫌いな子は

勉強と言う時間の中では

褒められる経験が多くありません。

やる気や興味関心といった

能動的な気持ちが働きにくいと

経験の蓄積は弱まります。

 

ですからどんな簡単なことでも、

できたら褒めてあげます。

また、 間違ったときでも、

一緒に笑ってあげます。

勉強は楽しいと、

脳を書き換えることから、

はじめます。

 

ADHDにしろ

LDにしろ

発達障碍や自閉症にしろ

苦手な教科の有無にしろ、

現時点での一つの見方にしか過ぎません。

それぞれの特性を考えることについて、

勉強の得意不得意は関係なく、

当然しなければならないことです。

 

それぞれの特性は

固定化されたレッテルではなく、

成長によって変化するものだと思います。

レッテルを書き換えていく

手助けができるよう

がんばります。

私の考える天国と地獄

子どもたちはオカルトの話が大好きです。

UFOとか未確認生物をはじめ

幽霊や妖怪の類の話が始まると

キリがありません。

まぁ、大人も好きなんですけどね。

 

この時期になると

クリスマスからの

サンタクロースのいるいないの話になり、

悪いことをしたら天国に行けないとか、

地獄に行って舌を抜かれるとか、

宗教観ばらばらな世界が広がります。

死後の世界には

天国とか地獄とか呼ばれる世界があるらしい。

永遠の命を手にした楽園、

先祖がいる極楽浄土、

はたまた閻魔様に裁かれ

様々な責め苦にあう苦しみの世界、

限りある生命を持つ人間が

最も恐れる死。

その先の見えない世界を創造した

昔の人々は

それぞれの文化でストーリーを作っていきました。

 

私は天国も地獄も見たことはないので、

その存在を肯定も否定もできないのですが、

伝えられているものとは違うと思うのです。

死後に訪れる世界は

故人がいないだけの世界で

言い換えれば

故人がいなくなっても継続する世界です。

 

あの人は、、、と

惜しまれるのか、

喜ばれるのか、

いなくなった世界で、

どう扱われるかなんじゃないかな、と。

 

某原発がある自治体の偉い方が亡くなった後に

いろいろなことが明るみになったり、

NGOの代表が凶弾に撃たれた後に

多くの人から哀悼の意が表されたり、

故人亡き後の世界の違いを見るにつけ

そんなことを考えるのでした。

 

今通っている塾生たち。

一日一日をがんばっています。

彼らの多くは中学を卒業すると

塾を去りますが、

彼らにはその後の世界が続きます。

その時に、

志学白雲館に通って良かったな、

そう言ってもらえることが天国かな。

複数教科を教える地域塾の先生たちの長所

寒くなってきましたね。

まだまだ雪は降っていないのですが、

夜は冷え込むことが増えてきました。

梁川校の東側出入り口に、

緩衝材っていうんですか?

プチプチするやつ、貼り付けてみました。

多少でも効果があればいいな。

さて、twitterではいろいろな方を知ることができます。

仕事柄教育関係の方をフォローしがちですが、

学校の先生から、大学教授といった

公教育の先生方から、

塾や予備校の先生といった

私教育の先生方、

学童教育や保育にあたる方、

さまざまです。

 

地域の塾の先生だと、

専任で特定教科を教えるだけでなく、

複数教科を担当することがあります。

予備校の先生のように

一つの教科に専念できればいいな、と

思うこともあるが、

都市部のように子どもが多くなければ成立しません。

専門性という点では、

専任が望ましいとおもいますが、

大学受験ではなく、

高校受験を主とする地域塾では

そこまでの専門性を求められません。

 

だったら、少しずつでも

教えられる教科を増やしたほういいと思っています。

そうすることで、

多角的に、横断的に教えることができるからです。

 

社会科に詳しい英語先生

数学と組み合わせる理科の先生といった

教科教育を多角的に、横断的に教えるだけでなく、

塾生一人ひとりを多角的に、横断的に

指導できるようになります。

A君は国語が弱いから社会科でアレをやってみよう。

Bさんは理科で凹んでたから

得意な英語で褒めてあげよう。

複数教科を担当できるからこその長所だとおもいます。

 

志学白雲館の先生方も

複数教科を指導します。

もちろん、

いきなり複数教科を担当するわけではなく、

段階的にです。

塾生一人ひとりが成長するように、

先生方も進化をしています。

 

買い与えるべき本の話

ボヘミアン・ラプソディで、

フレディがQUEENに戻るシーンがあります。

仲間を裏切ったフレディを

ブライアンたちは許すわけですが、

こういった場面は

洋の東西を見られます。

 

許す、という感情が

それだけ人間的であると考えられます。

許す、と聞いて

聖書のルカの福音書の中にある

放蕩息子の帰還を思い出します。

また、仏教の中でも

阿修羅や鬼子母神のように

以前の悪行を改心し

仏教に帰依したことで

仏弟子に並ぶエピソードがあります。

それだけ、

誰しもが持つ感情であり、

共感をするポイントであると言えます。

 

許しましょう、という話ではありません。

どんな本を読めばいいですか、と

たくさんの塾生や保護者に聞かれますが、

どんな本を読むか、というよりも

その本を読んで何を感じたか、が

もっと大事だとおもうのです。

 

自分のことで言えば、

歴史が大好きでした。

マンガで読む歴史の本は

何度も読み返しました。

そうこうするうちに、

もっと深く人物を知りたいとおもい、

伝記などを読むようになりました。

すると、伝記の中には、

マンガにはない細かな情報が盛り込んであるので、

その人物が学んだことや感じたことを

知りたくなるわけです。

そこで、仏教やキリスト教、神道、儒教にも

興味が広がるわけです。

 

何を感じるか、

一番はおもしろいと思う気持ち、

言い換えれば知的好奇心が

読書の推進力だと思います。

興味関心のない本を買い当てても、

コアラに笹の葉、パンダにユーカリです。

ゲームが好きならば、

ゲームの攻略本だっていいんです、入り口は。

いつか、繋がりを感じるときが来ます。

 

ゲームの中にカインとアベルというキャラがいました。

彼らは双子なんですね。

ゲームの興じてるときは

知りませんでしたが、

聖書に出てくるんですよ、カインとアベルが。

あれ?ゲームなのに聖書が関係してんの?

ひょっとしたら別のゲームでも、

他の関係性があんのかな?

 

繋がった時に

興味関心が自然と広がります。

 

まずは、好きなテーマから

買い与えてください。

いい矛盾なら わくわくする

「世の中矛盾だらけだよ」

「あいつの言ってること矛盾してね?」

矛盾、つじつまが合わないことは

よくあります。

 

できない言い訳や

やらない言い訳なら

耳を貸す気もおきませんが、

よくするための矛盾なら

話が変わります。

昨夜も、塾の先生と今後のあり方について

夜半まで話をしました。

A先生の気持ちや考えと

B先生の気持ちや考えは

必ずしも一緒ではありません。

もちろん、最終的には

塾生のためであり、塾のためであり、

行き着く先は同じです。

ただ、ルートが違う。

行き方が違う。

スピードが違う。

 

あちらを立てれば、

こちらが立たぬ。

どちらいい考えだけど、

同時にやろうとすると

なかなか梃子摺る。

だけど、

どちらも叶えていきたい!

 

そう考えると、

わくわくします。

より良くするために

引き起こされる困難は、

自分を高める課題です。

 

今は大変でも、

これが当たり前になれば、

その分力がつくことになります。

新たに得た力は、

さらなら高みを目指す推進力になります。

 

矛盾すらも、解決していこうとすれば、

もっともっと力がつきます。

さて、がんばるべか。

就職おめでとう どうかご安全に

先日、就職が決まった卒業生が挨拶に来てくれた。

第一志望の高校に進学し、

部活を一生懸命やった彼は、

就職を決めたものの

本当にやりたい別な仕事をするために、

仕事が終わった後

試験勉強に励んでいた。

 

約一年、勉強を続け、

就職試験に臨み、

晴れて合格を勝ち取ったわけです。

嬉しいとおもう気持ちもあるのですが、

複雑な心境なのです。

彼が目指したのは消防士。

彼の活躍は、誰かの不幸の最中にあり、

危険と隣り合わせであると思えば、

夢を叶えてがんばったね、と思いつつも

どうかご安全にと願うばかりです。

 

自分のなかでも矛盾した気持ちであると

分かってはいても、

嬉しさと心配とが入り混じるのです。

 

警察や消防、自衛隊には

友人も教え子もいます。

本当に頭が下がる思いです。

誇り高い、尊敬する仕事であると思います。

そこに飛び込んでくれた

塾生は、本当に

誇りです。

 

どうか、ご安全に。

町を頼みます。

 

市内外を見渡すと、

卒業生達が、それぞれの仕事に励んでいます。

行政にある者もいれば、

教育に当たる者も、

商売を営む者も、

それぞれですが、

人のために、町のために

汗をかく姿は、

すべて尊いものだと感じます。

 

自分も、彼ら同様、

一生懸命にやらないと。

国際学力調査の結果から

今日は新教研12月号を実施しています。

勉強してきた成果が出ることを

祈っています。

さぁ、ここからはラストスパートです。

冬期講習を経て、

私立高校入試、

そして3月の県立高校入試まで、

後悔のないよう、

やれるだけのことをしてください。

 

さて、先日OECDの国際学力調査の結果が発表されました。

数学的リテラシー、科学的リテラシー、

そして読解力が試される試験で

79の国と地域から60万人が

受験をしている。

2018年の結果は

数学的リテラシーが6位

科学的リテラシーが5位

読解力が15位となっている。

数学と科学は依然として上位を取れているが、

読解力に関しては大幅に順位を下げた。

これは由々しき問題だ!

と言う方もいれば、

違う見方をする方もいる。

 

試験で上位にいることは望ましいが、

試験そのものの目的や試験の方法、

受験する対象によって結果は変わるからだ。

今回の調査で問われる読解力は、

国語の記述問題のようなものではなく、

情報を正しく判断する能力

いわゆるリテラシーを測るものだ。

そう考えると国語力が下がっているという見方は

不適切であるし、

試験の方法もPCを使ったもので

不慣れな人にとってはそれだけで

適応しづらいことも考えられる。

さらに、対象となる受験生も

限られた国と地域の

一部の学生の平均値となれば、

富裕層が多く教育に熱心な一部の地域の子弟であれば

自ずと平均も高くなる。

 

だからといって、

試験の結果が悪くてもいいとは言えません。

情報を読み解く能力、

そしてそこから考える能力は

磨いていかなければならないからです。

 

情報を読み取る例としてよく使われる

GDPのデータを見てみましょう。

順位だけ見れば

「日本のGDPは中国に抜かれてしまった」

と見ることができますが、

だからといって

日本の経済力は中国と比べて劣っている、

と捉えることはできません。

国家全体としてGDPは抜かれましたが、

一人当たりで考えると、

違ってくるからです。

日本よりも、いや米国よりも

豊かな国は存在しています。

一方人口が多い中国やインドは

まだまだ一人足りの経済力は

強くないと考えられます。

 

データは現実ですが、

現実から何を感じることができるか、

といったリテラシーは

要は感性、センスです。

感性やセンスは磨くことができます。

また、リテラシーがあっても、

活かす力がなければ

変化を作り出すことはできません。

例えば、日本のGDPの順位は下がりましたが、

それよりも

他の国と比べて伸びていない状態のほうが

大問題だと私は考えます。

じゃあ、どうする?

課題解決まで考えていくことが

生きる力だと思います。

 

ではリテラシーを磨くためにはどうするか。

普段からできることがあります。

感覚だけではなく、

数値化されたデータを使って会話をすることです。

最初は遊び感覚でもいいんです。

野球の打率でも

相撲の勝敗でも

野菜の値段を当てるでも。

楽しみながらデータに触れてください。

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