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伊達市梁川町保原町の学習塾・志学白雲館 はくうんかん児童クラブ

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R2年度福島県立高校募集定員

福島県教育委員会は10月18日

令和2年度福島県立学校生徒募集定員を発表しました。

平成31年度入試では

全日制320人の減でしたが、

令和2年度入試では

全日制390人の減だけでなく

通信制でも100人の減と

大幅な減少となりました。

県北地区だけで見てみますと、

福島東高校が280人から240人へ。

安達高校が200人から160人へ。

川俣高校機械科が募集停止となりました。

県北地区だけで、120人の減です。

 

受験人口の減少による調整ですので、

大幅な難易度の変化は無いものと思われます。

詳しい情報は、

福島県教育委員会HPをご参照下さい。

 

まだまだほど遠い日常

今回の水害で梁川町は大きな被害を受けました。

今までの塾の様子とは違っています。

塾生の中には、

道路の分断や自動車の水没、

復旧作業の疲れから、

塾に来ることもままならない方もいました。

 

来たとしても、

制服が無かったり、

復旧に向けて動いたせいか

温かい部屋に入って疲れて眠る塾生もいました。

普段なら声をかけて起こしますが、

眠れない夜を過ごし、

泥にまみれて重い荷物を抱えていたかと思うと

あったかい部屋で安心できてるのかと

思ってそのままにしてしまいました。

 

休憩時間の過ごし方も今までと違います。

買い物をするにしても

今まで利用していた店舗も被災したため、

遠くまで行かなければなりません。

 

そんな中、今日中学校では合唱祭が行なわれました。

楽しむんだよ。

普通の中学校生活を。

そして

普通の中学校生活を送れるということが

どれだけ有難いことか

感じてくれるといいな。

 

それにしても、日常は遠いです。

今日も、復旧作業のお手伝いをしてきました。

連日、自衛隊のみなさんが

復旧作業に当たってくださり、

道路にあった災害ゴミも

見る見る間に無くっています。

聖光学院の野球部さんも

復旧作業を手伝ってくれています。

伊達市の社会福祉協議会でも

ボランティアセンターが立ち上がり、

受け入れを始めました。

災害ゴミは減っても、

まだまだ家の中は手付かずだったり、

掃除が終わっていない家がほとんどです。

 

某代議士が今回の災害を

「そこそこの被害だった」などと

のたまっていましたが、

被災者の前で、

苦しんでいる人の前で、

その言葉を吐いてみろ!と

そして

”そこそこの被害”なんだから

ちゃっちゃと被災者を支援しろ!と

悪態をつきたくなります。

 

1日も早く

日常が取り戻せるよう、

できることをしていこうと思います。

 

【学童】勉強習慣の改善と可能性

中学生になって伸び悩む子の多くが

学習習慣の欠如、

そして学習方法の向上が見られないことがあげられます。

そもそも

宿題をやらない、

勉強時間が少なすぎる、

といった学習習慣の欠如は

できるようになるはずもありません。

また、

学習方法も、

写経のような勉強で、

「できる」つもりになっている中学生がいます。

そういった学習習慣や、

勉強方法を小学生のうちに

直してあげられればとおもうのです。

まず学習習慣についてですが、

学校から出される宿題をやることはもちろんですが、

決まった時間に勉強を始めてほしいです。

そして、中学年になったら、

宿題だけでなく

自学にも取り組んでいきましょう。

学校から出される、

プリントやドリルはやらなければいけないものですが、

それぞれの子に応じたレベルではないこともあります。

それぞれの課題に応じて、

レベルにあった自学ができるようになれば、

基礎力は自ずとついていきます。

 

また、得点力の向上は、

スポーツと似たところがあると思っています。

まずはやってみること、

できなかったところを見つけて

練習して、

再テストを繰り返し、

できたら先に進む。

この繰り返しが

「できる」ようになる一つの取っ掛かりになると思います。

 

これらの習慣が

小学生の中学年あたりから身についてくると、

中学生でもいい結果が出る傾向にあります。

 

はくうんかん児童クラブでは

学習活動の時間に

①宿題をやる

②自学をやる

というきまりがあります。

ドリルもただやりっぱなしにせず、

間違い直し、

再挑戦をするように習慣付けています。

 

おそらく

自分ひとりでやるよりも

時間がかかってしまうとおもいますが、

「やる」ではなく

「できる」を目標にした勉強方法を

小学生のうちに身につけてほしいと

願っています。

 

中学生になって、

学習習慣の改善していくのは、

なかなか難しいようです。

だとすれば、

小学生のうちから、

より良い学習習慣が身につくように

働きかけていくことで、

可能性が広がると考えています。

実力テストのデータは判断材料にならない

福島県の公立中学校では、

受験対策の一環として、

「実力テスト」を受けさせている。

入試のように、既習事項の確認も入りますし、

中3の内容も徐々に増えていくものです。

 

問題の傾向としては、

選択問題から記述問題まで

福島県の入試傾向に合わせてあるものの

国語の作文がない、といった

物足りなさも感じます。

 

そして何より

一番の問題は、

実力テストの結果を見ても

判断材料になりにくい点です。

と言いますのも、

実力テストの順位はもちろん

平均点などのデータが、

学校内だけのものでしかないからです。

新教研もぎテストでは

県内の受験生の平均が取れます。

福島県内の受験生が約17000人、

そのうち新教研もぎテストを受けている受験生が、

2019年9月号で7000人います。

統計学上1万人以上の母集団であれば、

3%のサンプリングで信頼性の高いデータが得られます。

40%近い受験生が受けているのであれば、

ほぼほぼ確かなデータだと言えます。

そのデータを利用して、

自分の実力が同じ受験生の中でどこにあるのか

比較できるのが新教研のメリットです。

 

しかし、実力テストでは

校内の順位や平均しか分かりません。

過去の先輩が、何点だったとか、

何位だったとかいった情報も

問題が違うので役に立たないのです。

 

塾にいると、

他の中学校の平均も分かります。

実力テストの平均点において

伊達市内の高いところと

低いところの差が30点近くもあります。

しかも一番高いところも福島市に比べると、、、

 

実力テストの結果が良かった、

といって浮かれているのを見ると、

心配になります。

 

せめて、中学校同士では、

大きなデータの共有くらいしてほしいものです。

ここ数日のはなし

本日15日は

伊達市内小中学校が休校となりました。

復旧にあたるご家庭、

道路が分断している地区、

送迎手段がない方もおりますので、

志学白雲館梁川校、保原校も【休校】といたします。

ご迷惑をおかけします。

 

さて、12日の夜から猛威を振るった台風で、

伊達市は大きな被害となりました。

私も福島市北部に自宅があり、

あと数十メートル先では、

浸水の被害にあったご家庭もありました。

両親が避難しないと言うため、

私も自宅に残りましたが、

正直気が気じゃなかったです。

何度もハザードマップを見て、

万が一に備え

避難場所を確認し、

テレビをつけたままの夜でした。

 

13日朝、梁川町の被害を聞き、

福島から梁川に向かいましたが、

いつもの通勤路は水没しているところもあり、

遠回りを余儀なくされました。

途中の阿武隈川は、

あと少しであふれるのではないか

という位の水位で

この中で活動されていた

行政、消防団の皆さんのことを考えると

頭が下がります。

 

梁川について、

塾の無事を確認し、

広瀬側の北側へ移動すると、

そこには

車一台が埋まるくらいの水がたまっていました。

避難していた地域の方が

水に浸かった自宅を見ながら、

「8.5水害より酷いな」と。

 

この先に、

友人の家や塾生の家があるのか、と思うと

無事を祈るばかりでした。

 

災害復旧に当たる、

自衛隊の方々や、

国交省のポンプ車、

そして

地域の消防団の方々の

心強いこと。

 

その日は、何もすることもできないため、

一度帰宅。

 

14日は朝から梁川に入り、

ご主人は青年部の友人、

奥さんは児童クラブの職員、

子どもたちは塾生、

家族ぐるみでお世話になっている方の

復旧のお手伝いに向かいました。

 

すっかり水は引いたものの、

泥が道路を埋め

足をとられます。

ご自宅に着くと、

ご家族親類だけでなく、

青年部の面々がいました。

 

ご自宅は床上浸水。

家に上がって

私がすっかり隠れるくらいの高さまで

水が上がったそうです。

 

ここからは、

迷うことなく、

水に浸かったものを外に出して

捨てていきました。

持っていた服も

おもちゃも、本も、写真も、

水に浸かったものは、

ほぼほぼ廃棄。

 

水に浸かった重い畳は

1人では持ち上げることもできず、

3~4人の大人で運んでいきました。

昨日は祝日で

ゴミ処理場も開いていなかったため、

とりあえず

玄関先に水害ゴミをまとめていきました。

ひとまずできることをして、

塾に戻り、

小中学校の休校を受けて、

15日の動きを先生方と確認。

塾の休校と

児童クラブの開所を決め、

HPで連絡。

 

今朝は小学校が休校のため

児童クラブを開所し、

子どもたちと勉強、

そのあと

川北の様子を見に行きました。

 

自分にも8.5水害の記憶があります。

子どもたちも

この水害を知って

これからを考えてほしいとおもったからです。

 

まだまだ日常は戻りませんが、

少しずつ

復旧に向けて動いていきたいとおもいます。

 

子どもは、大人の真似をする

現在、新教研テスト10月号を実施中。

午後3時には終わる予定です。

今後の台風への備えもありますので、

その後の授業や自学に関しては

【休校】の措置をとります。

ご迷惑をおかけします。

複数の小学校教員による

小学校教員へのいじめが報道された。

激辛カレーを無理やり食べさせるだけでなく、

目に入れるなどしたり、

被害者の所有する車に登ったり、

もはやいたずらや悪ふざけではなく、

傷害事件であり、

器物損壊です。

 

「悪ふざけが過ぎた」という

言い訳をしているようですが、

それこそ

小学生のいじめの言い訳と同じで、

加害者の教員は、

何を教え、諭すことができるのか

疑問に思ってしまいます。

 

多くの教員たちは、

けっして恵まれているとはいえない労働環境でも、

子どもたちのため、

保護者のため、

学校のため、

地域のため、

日本の未来のため、

それこそ身を粉にして

重責を果していると思います。

加害者の方たちは

ごくごく一部の不心得者であると思いますが、

その学校全体で、

自浄作用がないんだろうなと思ってしまいます。

 

もし、自分がその学校にいたら、

激辛カレーを友人に食べさせたり、

目に入れたり、

先生方の車のボンネットを飛び跳ねたり、して

悪びれもせず

「ふざけてただけです」と言い訳し、

「むしろ何が悪いんですか?

~先生もやってるじゃないですか~」と

開き直っていたかもしれません。

 

そうしたら、~先生という方々は

注意ができるんでしょうか。

 

指導にあたる人間は、

常に指導される側に見られていると思っています。

そして、残念ながら

悪い部分ほど真似をされます。

学校や教員の方々の批判をしたいのではありません。

子どもは、大人の真似をするものです。

同じ子どもに接する立場としてだけでなく、

すべての大人が、

子どもの範だと再認識したのです。

 

自分はどうなのか。

子どもたちの様子を観察して、

反省しようと思います。

なかなか見えない時間泥棒

明日12日についてですが、

午前中から15時に行なわれる

中3受験生対象の新教研テストは実施します。

その後、大型の台風が近づき、

夕方から夜にかけて暴風が警戒されますので、

授業と自学は【休校】とします。

ご迷惑をおかけしますが、

ご協力のほどよろしくお願いします。

 

先日、梁川校の光回線に不具合が発生し、

インターネットや電話が使えなくなってしまいました。

ご迷惑をおかけいたしました。

ネット環境というインフラは

もはやなくてはならないものだということが、

使えなくなって初めて気付かされます。

当たり前に使えるものだ、

と思っていても

使えなくなるまで分かりません。

 

そして、一方で

ネットにどれだけの時間を搾取されているかにも

気づかされます。

塾ではホームページの更新などをしますが、

パソコンに触れば、

他のページを閲覧したりもしてしまいます。

 

使えなければ使えないで、

割り切るしかありませんから、

その分別なことができることに気づきます。

いつもより早く授業の準備をしたり、

いつもより多く掃除をしたり、

本に目を通したり。

 

いつの間にか、

使える時間を奪ってしまう時間泥棒が

いろんなところにいます。

ネットだけでなく、

テレビだったり、

マンガだったり、

布団やコタツだったり。

もちろん、

何かが悪いわけではなく、

本人が悪いんですけどね。

 

時間を奪うものが分かったら、

それを遠ざけてしまうのも一つの手です。

 

AIでよみがえる美空ひばり

先日NHKで放映された

「AIでよみがえる美空ひばり」を見た。

昭和の歌姫、美空ひばり。

その歌声のすばらしさは、

世代を超えて人々を魅了する。

祖母の影響か、

私も美空ひばりの歌は好きでした。

美空ひばりの死を悼む気持ちは分かります。

戦後の焼け野原だった日本の復興を

歌によって励まし続けた彼女の声を

もう一度聞きたいという気持ちも。

それ故、現代のAIという技術で

その神性に近づこうとする試みはとても面白いと思います。

 

が、違和感も思うのです。

AIで蘇った美空ひばりの歌声は

美空ひばりなのか。

 

AIの学習能力によって、

科学的に分析した歌声の特徴を学ばせて

新たな美空ひばりの声に近い音という信号で発する。

AIの能力が上がれば上がるほど、

本人の声と新たな音は近づいていくと考えられます。

番組で作られた歌声は、

美空ひばりが歌っているかのような錯覚を覚えました。

ですが、

それは美空ひばりであっていいのか。

 

自分の感じている違和感は何か。

いろいろです。

人間の限りあるがゆえに輝く能力を

否定し永遠に変えようとする傲慢さも感じます。

また、AIという新しいDNAへの不安や恐怖も。

法律的にも、当然未整備の

故人の声に対する著作権や人権への配慮も。

 

AIの技術はこれから進化し続け、

人々を豊かにしてくれると思っています。

そのためには、

いろいろな研究、挑戦をしていくことも

必要だと理解しています。

しかし、

今までの科学技術同様、

負の側面にも目を向けるべきではないか、

と感じてしまうのです。

人々を幸せにするはずの科学技術が、

思いがけず

人を傷つけることもあるのではないか。

 

おもしろい番組でしたが、

そんなことも考えさせられました。

文学を学ぶ必要性

志学白雲館は

小中学生の塾としてスタートしましたが

高校入試を経て、

高校の勉強をしたい

大学に行きたいという高校生も

教えています。

 

私は大学受験の国語も担当しています。

先日大学受験を控える高3と

センター試験対策をしました。

テーマは戦争文学。

特攻隊員が前線基地で突撃命令を待っていた。

その間に広島への原子爆弾投下が起きた。

被害を耳にした時、

「奇妙な解放感」を感じたと

内面を吐露する話。

 

戦争時、自分の死を覚悟した特攻隊員といえど、

命令を下されるまで、

苦しい時間を過ごさなければなりません。

命を投げ出さなければならない重圧、

死への恐怖に怯える日々が、

原子爆弾という圧倒的な力によって

死への重圧や恐怖が瞬間的に終わると

分かったときに感じた解放感。

 

特攻で敵陣に飛び込もうが、

原子爆弾が空から降ってこようが、

訪れる結末は同じでしかないのに、

「奇妙な解放感」を覚えたと。

それだけ、

死を待たされる感覚、

他人に自分の生殺を決定される感覚の

異常さを垣間見ることができます。

 

こんな言葉、今の日常から得られません。

 

高校の国語において、

カリキュラムの見直しが図られ、

契約書や行政からの通達を読解する

論理国語なる教科ができるとか。

かわりに、

文学の単元は減らされたり

選択になったりするとか。

 

役に立つ国語を身につけてほしい、

そういう意図は感じられます。

しかし

文学を学ぶことによって、

自分の感情を言葉に変えて理解したり、

感じたことのない感情に気づいたり

することがきると思うのです。

 

自分の世界は

言葉によって作られます。

言葉を知るということは、

自分の世界が広がるということです。

ならば文学は

自分の世界を押し広げてくれる

外からの変革者のようなものだと思うのです。

自らを向上させたい、変えたいと望むなら

自分が持たない言葉を見せてくれる

文学を学ぶ必要があると思うのです。

 

学校で文学をやらなくてもいいと考える人は、

自分で文学に触れる人か、

”役に立つ”かどうかが価値基準の人です。

 

学校教育だからこそ、

文学と出会うことができる人もいます。

”役に立つ”かどうかは

時代が変わればわかりません。

 

大学入試に向けての勉強だから

本気で文学に触れる、という

不純な側面ではあるものの、

それでも

触れないよりは

何かを得ることができると思ってしまいます。

 

自主性を育むために必要なのは

子どもの成長を育むにあたって

よく言われるのは

自主性を重んじる、ということだ。

自分の興味関心に従って

自分で物事を決めて、

自分で高めることができれば、

これに越したことはありません。

理想はよく分かるます。

自分の興味関心にそった勉強ほど

身についていくと思うからです。

 

だけど、

最初から自主性だけで動くことは

できないのではないか、と思うのです。

 

やりたい、という気持ちも自主性ですが、

やりたくない、という気持ちも自主性です。

自学のときにどんな教科をやるか

なんてのは自主性を発揮してもらっても

問題はないと思うのです。

ですが、

やらなければならない、ことに対してまで

自主性をもちだすのは

怠惰だと思うのです。

 

成長にともなって、

やりたいこと、

やってもいいこと、のほかに

やらなければいけないこと、が

増えていきます。

興味関心に従わないけど

自主的にこなしていくべきこともあるわけです。

 

好きなことは、

止めろといってもやるわけです。

やらなければいけないことになると、

頭では分かっていても、

自主的に動けない、

そういうことがあります。

受験勉強もその一つかもしれません。

 

自主性を育むために必要なのは

動きやすい環境づくりだったり、

段階的なチェックだったり、

効果的な声かけだったり、

さまざまな手立てがありますが、

最終的には、

完全に1人で動き出すのを待つこと、

そして

強烈な失敗かもしれません。

 

手を出したい、

失敗なんてさせたくない、

と思ってしまいます。

先回りをして、

あれやこれやと

手を出したくなってしまうのも

分かるんです。

待っている大人のほうが、

待ちきれないこともあります。

 

ですが、

そこをグッとこらえて

失敗を経験させる、

痛い思いをさせる、

苦労をさせる、

そういった負の要素が、

自主性を動かす原動力になる気がします。

 

よし、志事すんぞ!

さぁ、いきましょー♪

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