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伊達市梁川町保原町の学習塾・志学白雲館 はくうんかん児童クラブ

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2019 冬期講習 3日目

普段は午後からの仕事なので、

道路が混雑してるとは感じませんが、

やっぱり朝は道路が混んでますね。

予想以上に時間がかかってしまいます。

これで雪が降ったら、、、。

講習中は降らないでほしいな。

さて、当たり前のことですが

入試でも、仕事でも、

何かに取り組んでいるときに、

全力を出しても

勝てるという保証はありません。

だからといって、

手を抜けば負けは決まってしまいます。

勝負とはそういうものです。

 

分からない、できないと

愚痴をこぼしても、

勝負の時は迫ってきます。

 

全力で事に当たってください。

 

よし、志事すんぞ!

さぁ、いきましょー♪

2019 冬期講習会 二日目

講習会2日目の朝です。

始まる時間は早くても、

帰る時間は変わらないので、

寝不足必至ですが、

大変なのは受験生も保護者も一緒。

体調管理は気をつけないと。

学童も朝からの対応になるので、

1日中小学生から高校生まで、

たくさんの子どもと過ごしてます。

しかも、朝から朗報。

1月から学童に児童が増えることになりました。

ん~、がんばろ。

 

さて、

過去に戻ってやり直すことはできません。

だから今しかない。

今できることをする。

頭では分かっていても

なかなか行動に移せないものです。

 

合格発表のその日に後悔しても

時すでに遅し。

講習会では、テスト結果によって

毎日クラス分けを実施します。

そのクラス分けや結果を

合格発表のそれだと思ってください。

クラスを下げないようにする。

クラスを上げるようにする。

目標点数を取る。

常に結果を意識してください。

 

もう一度言います。

過去に戻ってやり直すことはできません。

だから今しかない。

今できることをする。

 

よし、志事すんぞ!

さぁ、いきましょー♪

2019 冬期講習会 初日

今日から冬期講習会がスタートになります。

小学生、中1、中2の通常授業も

特別時間割となります。

学年、クラスによって

曜日や時間が変わっていますので

月刊白雲館やプリントでご確認下さい。

さて、受験生対象の冬期講習会は

毎日テストをして、

その結果によってクラス替えを行ないます。

毎日です。

 

その日の結果によって

上がることも下がることもあります。

体調が悪かったとか、

何となくできなかったとか、

言い訳しても

入試の結果が変わらないように、

点数を取ることを意識した勉強を

講習会で身につけてほしいからです。

 

毎年のことですが、

この講習会を経て

得点力が上がる子どもたちを見ています。

今年もドラマティックな講習会に

なりそうな予感です。

 

よし、志事すんぞ!

さぁ、いきましょー!

 

明日から冬休み

冬休み直前です。

講習の準備をしながら

今年はどんな冬になるか楽しみでなりません。

小学生、中学1・2年生は

特別時間割となります。

通常授業はございませんので、

ご注意下さい。

詳しくはプリント、月刊白雲館を参照下さい。

 

受験生は冬期講習がありますので、

専念してください。

入試問題に挑戦しながら、

毎日自分に必要な力をつけていきましょう。

 

今の時点で合格できる力があるわけではありません。

足りない自分を実感してください。

 

国数英の3科目を中心に

理科と社会もあります。

宿題もあります。

自学の時間は平等です。

だとしたら、

時間の使い方です。

 

何をするか、

もう勉強しかないはずです。

何をしないか、

勉強以外のことです。

分かりきっているはずです。

 

毎日を大事に有意義に過ごしましょう。

あ、体調管理も忘れずに。

インフルっぽい時は

休んでください。

学校が労働者の権利を教える矛盾

公民の経済分野の授業の中で

労働者の権利の話が出てきます。

労働三権とか、

労働三法とかです。

また最近の働き方改革やら、

ワークライフバランスやらにも触れます。

 

その中で数年前に起きた

広告代理店の新入社員の話に触れることとなり、

残業時間が200時間とかは、

どれだけ大変なのか考えてもらいました。

ふと、考えたことは、

これを教えている先生方は

どんなお気持ちか、と

いうことです。

矛盾を感じてるんじゃないかなぁ、と。

 

学校の先生方も、

多くの業務を抱えています。

授業だけでなく、

部活の指導や、

提出書類の作成、

行事の運営など、

定時で変えれる先生はごくわずかです。

給特法というやつで

給料の4%が上乗せされているとはいえ、

民間であれば、

違法と言われる状態であるにもかかわらず、

労働者の権利を教えるわけですから。

さらに、変形労働制が導入され、

残業していないことにさせられる。

おかしいと思いながら教えるんでしょうか。

 

とある高校の先生が自死されました。

若い先生で、部活動の顧問もされていて、

ある月の残業時間が260時間を数えたとか。

260時間ですよ。

休みなく30日働いたとしても

毎日5時間以上残業していたことになります。

 

しかも、おそらくは、

これが特殊な事例ではなく、

多くの教員の方が同じ状態なのではないか、と

推測されてしまうわけです。

 

聖職者としての教員の姿は

本当に尊いものです。

だからといって、

教師個々人の犠牲の上に

胡坐をかいていいとは思えないのです。

 

社会の変化にともなって、

残業時間の減少、

有給制度の利活用、

プライベートの充実が

実現しつつあります。

少しでも改善がなければ、

なり手がいなくなっていきます。

 

資源のない日本にとって、

人材こそが宝。

その人材を育むのが、

学校であり、教員の皆様であるなら、

その労働環境の改善は、

日本の未来です。

 

子どもたちに労働の姿を教える学校こそが

まずは矛盾を減らし、

理想に近づいてほしいと願います。

 

子どもがいますよマーク

子ども叱るな、来た道だ。

年寄り笑うな、行く道だ。

よく言われることですね。

私もよく自分に言い聞かせる言葉です。

みんな、子どもだったわけですし

みんな、年をとるわけです。

未熟で迷惑をかけることも多々あります。

当たり前に出来ていたことが、

出来なくなってしまうこともある訳です。

先日ニュースで考えさせられたことがあります。

最近、航空機の座席を選ぶ際に、

幼児が座っている席が分かるように

事前にマークがつくようになったらしいですね。

これって誰のために付けたのでしょう。

お母さんにとっても子どもにとっても不要だろうし、

他の人が避けるためなのでしょうか。

だとしたら、ちょっとがっかりです。

 

長時間拘束される機内で

できるだけ快適な時間を過ごしたい、

そう思う気持ちが分からないわけではありません。

ですが、子どもが多少騒いだりするのは、

仕方のないこと、自然なことだと

思うのです。

もちろん他人に迷惑をかけるようであれば、

注意をしますが。

 

袖すりあうも他生の縁、という言葉があります。

それも自分ではどうすることもできない

ご縁の一つだと思うのです。

個人のプライベートな空間ではない以上

自分の意にそぐわないことがあっても

それが社会ですし、

それに適応するのが社会性だと思うのです。

 

仮に、

子どもがいますよマーク以外のものがあったら

どう感じますか?

障碍者がいますよマーク、

外国人がいますよマーク、

日本人がいますよマーク、

有色人種がいますよマーク、

老人がいますよマーク、

オッサンがオバチャンがいますよマーク、

特定の宗教を信じてる人マーク、

必要ですか?

あなたが当てはまるマークがあったとしたら、

どう感じますか?

 

多様性を許容しない社会は

自分自身が許容されない社会になる危険性があると

思うのです。

間違えたい子どもたち

テストでは間違えないことが望ましいけれど、

間違えるということ自体は悪いことではない。

間違えた部分こそ、

その人にとって大事な部分だからです。

勉強をすると言ったとき、

成績上位者と成績下位者で

やっていることは同じではありません。

例えば英単語のテスト勉強にしても

与えられた範囲の単語を

まず全部10回ずつ書くとかしだすのは

下位者に多いです。

そして、ノートが埋まって満足して終わります。

上位者は、

まずテストをして

できないものを見つけてから練習します。

練習も、

日本語から英語に言えるか、

さらに日本語から英語を書けるか、と

ステップアップさせて、

最後にテストをして、

できることを確認して終わります。

大事なのはやることではなく、

できること、だと理解しているから

違ってくるわけです。

 

問題を解くことは勉強ではなく、

間違えてからが本番です。

なぜ間違えたかを、

理解し、一人でできるようになって

初めて向上するからです。

 

そうなると、

成績上位者は間違えるまでが大変です。

学校のテスト対策用の

簡単なテキストだと間違えませんから。

塾にある受験用のテキストや、

入試の過去問などを取り組みながら、

「今の自分では」できない問題を見つけたとき

やっと向上できると感じるようです。

 

彼らは間違えたり、できないことが

嫌いではありません。

自分の間違いを直視することは

向上の鍵です。

グレタさんは、善か悪か

沖縄県の某町役場の町税課を名乗る電話が来ました。

詐欺かな、と思って番号を調べたら

どうやら本物。

沖縄なんて住んだこともなければ、

行ったことすらないのに!?

うん、間違い電話でした(笑)

向こうは平謝りでしたが、

沖縄の話し口調は新鮮でした。

あったかいんだろうなぁ。沖縄。

 

東北に住んでると

暖かい気候はうらやましく感じますが、

地球規模で考えるとそうも言ってられないのが、

温暖化などの地球環境問題です。

世界規模での対策が求められていますが、

各国それぞれの利害もあり、

統一した基準はつくられていません。

 

そんな中、2019年の顔と言うべき人が現れました。

環境問題ついて提言をしたグレタさんが

TIMEをはじめ

さまざまなメディアに取り上げられています。

涙ながらに温暖化阻止を訴える姿に

多くの人が共感を覚えました。

私も感じるところは多々あります。

子どもを先頭に立たせてしまっているのも

恥ずかしく思うし、

今の生活と温暖化を天秤にかけて

気後れしてしまう自分もいます。

まずは自分ができることから

やるべきなんだろうな、と思うところです。

 

一方で、

少女が涙を流して訴える衝撃だけで

彼女の言っていることが全て正しいかのように

彼女に従わない国々が悪であるかのように

判じてはいけないとも思のです。

 

グレタさんは先進国の子どもであり、

経済力の恩恵を少なからず受けられます。

経済の発展によって失われた自然環境に関して

自らの国の歴史を省み、改めようとする姿勢は

持続可能な社会を目指すうえで、

すばらしいことです。

ですが、全ての国が

豊かな経済を持っていませんし、

全ての子どもたちが

経済の恩恵を受けているわけではありません。

途上国には途上国の

新興国には新興国の言い分もあるはずです。

仮に、飢餓に苦しむ子どもたちが涙ながらに

工業発展の必要性を訴えたら、

世界はどう反応するのでしょうか。

グレタさんは、善なのか、悪なのか。

どちらでもないはずです。

立場によって、見え方が変わるだけです。

 

経済発展と環境問題という

両方を解決するように

世界が協力して動いていけばいいのですが、

今のままだとグレタさんは

環境問題の偶像にまつりあげられ利用されたり、

経済発展を望む人たちの敵に仕立て上げられたり、

なんの解決もしないまま

あの人もいたね、と

時々思い出されるだけの人になってしまいそうです。

 

誰がどう言ったか、よりも、

何を言ったか、その中身を冷静に判断し、

見る目を持たなければと思うのです。

そして、そこから

自分に、自分たちについて考えるだけでなく、

別な立場にも思いをはせることが必要です。

日本をはじめとした先進国は、

環境問題と経済発展を両立する技術の開発に

次の可能性を見つけるべきです。

ノーベル賞を受賞した吉野博士は

リチウム電池を開発されましたが、

もっと効率のよい電池を開発するとか。

 

第二のグレタさんが現れなくてもいいくらい、

地球環境を良くするよう、

私たちの世代で改善の兆しを見せたいものですね。

脳を書き換える

志学白雲館にはいろいろな子が来てくれる。

学年トップの子もいれば、

勉強が苦手な子、嫌いな子までさまざまです。

勉強が苦手な子や嫌いな子は

いろいろな経験を必要とするので、

講師経験の長い先生が担当することが多いです。

はい、私もその1人ですね。

ADHDやLDといった発達障碍の子どもたちを

ボランティアでケアしてきた経験や、

家庭教師や塾講師として

多くのお子さんを預かった経験が

少しでも地域のお役に立てればとおもっています。

 

さて、勉強が苦手な子や嫌いな子は

勉強と言う時間の中では

褒められる経験が多くありません。

やる気や興味関心といった

能動的な気持ちが働きにくいと

経験の蓄積は弱まります。

 

ですからどんな簡単なことでも、

できたら褒めてあげます。

また、 間違ったときでも、

一緒に笑ってあげます。

勉強は楽しいと、

脳を書き換えることから、

はじめます。

 

ADHDにしろ

LDにしろ

発達障碍や自閉症にしろ

苦手な教科の有無にしろ、

現時点での一つの見方にしか過ぎません。

それぞれの特性を考えることについて、

勉強の得意不得意は関係なく、

当然しなければならないことです。

 

それぞれの特性は

固定化されたレッテルではなく、

成長によって変化するものだと思います。

レッテルを書き換えていく

手助けができるよう

がんばります。

私の考える天国と地獄

子どもたちはオカルトの話が大好きです。

UFOとか未確認生物をはじめ

幽霊や妖怪の類の話が始まると

キリがありません。

まぁ、大人も好きなんですけどね。

 

この時期になると

クリスマスからの

サンタクロースのいるいないの話になり、

悪いことをしたら天国に行けないとか、

地獄に行って舌を抜かれるとか、

宗教観ばらばらな世界が広がります。

死後の世界には

天国とか地獄とか呼ばれる世界があるらしい。

永遠の命を手にした楽園、

先祖がいる極楽浄土、

はたまた閻魔様に裁かれ

様々な責め苦にあう苦しみの世界、

限りある生命を持つ人間が

最も恐れる死。

その先の見えない世界を創造した

昔の人々は

それぞれの文化でストーリーを作っていきました。

 

私は天国も地獄も見たことはないので、

その存在を肯定も否定もできないのですが、

伝えられているものとは違うと思うのです。

死後に訪れる世界は

故人がいないだけの世界で

言い換えれば

故人がいなくなっても継続する世界です。

 

あの人は、、、と

惜しまれるのか、

喜ばれるのか、

いなくなった世界で、

どう扱われるかなんじゃないかな、と。

 

某原発がある自治体の偉い方が亡くなった後に

いろいろなことが明るみになったり、

NGOの代表が凶弾に撃たれた後に

多くの人から哀悼の意が表されたり、

故人亡き後の世界の違いを見るにつけ

そんなことを考えるのでした。

 

今通っている塾生たち。

一日一日をがんばっています。

彼らの多くは中学を卒業すると

塾を去りますが、

彼らにはその後の世界が続きます。

その時に、

志学白雲館に通って良かったな、

そう言ってもらえることが天国かな。

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