戦禍に触れる
投稿日:2020年11月3日
文化の日の福島伊達
午前中から、地域の人とお話。
地域の課題解決と個人の生き方の
両立を目指して青写真を描いておりました。
これが実現したら
面白いなぁ。
自分に何ができるかなぁ。
やりたいことも面白いし、
やろうとしてる人が
また面白い。
さて、先日、撮りためた「エール」を一気見。
放送が再開されてから、
なかなか見れてなくて、
やっと見ることができました。
話はちょうど戦中戦後の場面。
涙なしには見れませんでした。
戦争を知らない私達世代は、
あの苦しさや悲しさを実感していません。
そう考えると、
今の平和のありがたみも、
実は分かっていないのではないか、
と考えさせられてしまうのです。
戦争は良くない、と
頭では分かっています。
でも、その実感はないのだと思います。
遠い過去に、
日本も戦争の惨禍の只中にあって、
ひもじい思いをし、
大事な人が突然奪われ、
理不尽を強いられる時代がありました。
また、現代でも世界では
今まさに、その苦しみにあえぐ
人たちがいます。
歴史で学ぼうと、報道を目にしようと、
実感とは程遠いものです。
だからこそ、
その時々に戦争に触れることが
必要なのだと思うのです。
それがたとえ、
ドラマでもアニメでも文学であっても。
主人公や登場人物を通して、
少しでも我が事になるならば素材は何でも。
「エール」の中で古関裕而は
その才を生かして音楽を作り続けました。
楽曲の力で人々を勇気づけるわけですが、
時代はその力を国威発揚へとむけるわけです。
戦中はもてはやされた古関も、
戦後になると
戦争に積極的に加担した
戦犯のごとき扱いを受けるわけです。
「嫌ならやらなきゃいいじゃん」
そう簡単にはいかない時代。
もし、自分が古関の立場ならば、
何を選択できただろう。
もし、自分がその時代で物を教える立場なら、
何を、教えたのだろう。
そして、
物事の価値観が180度変わり、
今生きること、自分たちが生きることに
精一杯だったであろうあの時代から見れば、
今の時代はどう見えるだろう。
普通の日常が、平和が
努力の賜物であると知ることができるはずです。
それを再確認するためにも
戦禍を知ることは意味のあることに思えるのです。
よし、志事すんぞ!
さぁ、いきましょー♪