大人が介入すべきこと、すべきでないこと
投稿日:2019年7月13日
学童の小学生を毎日見ていると、
いろんなことが起きます。
子ども同士いろいろなトラブルも起きます。
大人から見て小さなことでも、
本人にとっては初めて体験することも。
善悪なら介入も考えます。
しかし時には待たなければならないこともあります。
たとえば、本人の気持ちの問題、感じ方の問題。
自分にとって気に入らないことがあった、から
ないているなんて言う場合です。
自分の思い通りに行かないことで、
感情のコントロールがうまくいかず、
泣いてしまう。
そういうこともあります。
泣いてるから助ける、わけでもない。
泣かせたほうが、必ずしも悪いわけでもない。
善悪ではなく、
個人の感じ方の問題のときに、
どちらかの立場に付くような介入は
しないほうがいいと思うのです。
子どもは学びますから。
泣けば、思い通りになる、と。
遊びのルールを決めるときも
「みんなで決めろ~」としています。
自分に有利なルールにしようとしても、
みんな賛同してくれません(笑)
みんなが納得するルールにするため、
話し合わなければなりません。
伝えなければなりません。
ここで間に入ったら、
自分たちで協調することができなくなります。
一方で介入するものもあります。
勉強する学童ですから、
子どもたちは時間になったら宿題をしたり、
自学をしたりします。
勉強をする、といっても
机でテキストを進めることだけを
指しているつもりはありません。
小学生は音読の仕方や
筆順に運筆、
ペンの持ち方や姿勢も
時に諭さなければなりません。
おそらく学校でも、
ご家庭でも注意を受けているはず。
これは、
子どもが1人で
いつの間にかできる類のものでもありません。
自分を客観視しにくいこと、
自分に甘くしてしまいがちなこと、には
何度も諭していきます。
介入する、しないに
先生方個人の考えも出てしまうかもしれない。
それが悪いわけでもない。
いろんな考えに触れることも学びだから。
なんにせよ、
子どもをちゃんと観ること。
成長と自律のために
考えて行動していこうとすることが大事。
よし、志事すんぞ!