言葉という種、理解という実
投稿日:2019年8月23日
やまと歌は人の心を種として
よろづの言の葉とぞなれりける
古今和歌集、仮名序より
感動が種となって言葉をつむいでいく、
と理解していますが、
言葉自体が心に与える種にもなると思うのです。
以前に信頼する友人から言われた言葉があります。
小学生からの友人で、
塾立ち上げのときから
いろいろアドバイスをもらってました。
その時の言葉の意味が
今になって分かった気がするします。
数年前に言われた言葉なのに、
やっとです。
馬鹿だなぁ、俺は。
また昔、母から言われた言葉が
この歳になって理解できるようになってきました。
やっとです。
親不孝ですねぇ。
頭でわかったつもりになっていたけど、
リアルに分かるようになっただけでも
ありがたい。
言葉に触れるた時は
理解できなかったとしても、
言われた言葉は種となり
自分の心の中で成長し、
理解という実を結ぶんだなぁ、と。
自分の中には、
たくさんの言葉があります。
これからも
たくさんの言葉に触れていきます。
一つでも多くの言葉の種を
集めることができれば、
まだまだ成長できる、かな。