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文学を学ぶ必要性

志学白雲館は

小中学生の塾としてスタートしましたが

高校入試を経て、

高校の勉強をしたい

大学に行きたいという高校生も

教えています。

 

私は大学受験の国語も担当しています。

先日大学受験を控える高3と

センター試験対策をしました。

テーマは戦争文学。

特攻隊員が前線基地で突撃命令を待っていた。

その間に広島への原子爆弾投下が起きた。

被害を耳にした時、

「奇妙な解放感」を感じたと

内面を吐露する話。

 

戦争時、自分の死を覚悟した特攻隊員といえど、

命令を下されるまで、

苦しい時間を過ごさなければなりません。

命を投げ出さなければならない重圧、

死への恐怖に怯える日々が、

原子爆弾という圧倒的な力によって

死への重圧や恐怖が瞬間的に終わると

分かったときに感じた解放感。

 

特攻で敵陣に飛び込もうが、

原子爆弾が空から降ってこようが、

訪れる結末は同じでしかないのに、

「奇妙な解放感」を覚えたと。

それだけ、

死を待たされる感覚、

他人に自分の生殺を決定される感覚の

異常さを垣間見ることができます。

 

こんな言葉、今の日常から得られません。

 

高校の国語において、

カリキュラムの見直しが図られ、

契約書や行政からの通達を読解する

論理国語なる教科ができるとか。

かわりに、

文学の単元は減らされたり

選択になったりするとか。

 

役に立つ国語を身につけてほしい、

そういう意図は感じられます。

しかし

文学を学ぶことによって、

自分の感情を言葉に変えて理解したり、

感じたことのない感情に気づいたり

することがきると思うのです。

 

自分の世界は

言葉によって作られます。

言葉を知るということは、

自分の世界が広がるということです。

ならば文学は

自分の世界を押し広げてくれる

外からの変革者のようなものだと思うのです。

自らを向上させたい、変えたいと望むなら

自分が持たない言葉を見せてくれる

文学を学ぶ必要があると思うのです。

 

学校で文学をやらなくてもいいと考える人は、

自分で文学に触れる人か、

”役に立つ”かどうかが価値基準の人です。

 

学校教育だからこそ、

文学と出会うことができる人もいます。

”役に立つ”かどうかは

時代が変わればわかりません。

 

大学入試に向けての勉強だから

本気で文学に触れる、という

不純な側面ではあるものの、

それでも

触れないよりは

何かを得ることができると思ってしまいます。

 

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