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掃除は「強制ただ働き」か

今日も晴れてた福島伊達。

代表渡辺が更新です。

水泳の池江選手に対して

関係閣僚がオリンピックの影響を

口にしたことで批判されています。

が、よくよく聞いてみると、

先に選手への気遣いも

ちゃんと見せているんですよね。

マスコミの取り上げ方にも

問題があるようにも思えます。

報じられる情報

表に出る情報は

決して全てではないと

心に留めておくことが必要です。

 

この前提を踏まえて、

皆さんに考えていただきたいことがあります。

学校で行なわれる清掃の是非、です。

憲法学者の木村草太さん、

以前に彼の共著

「子どもの人権を守るために」を

ご紹介したことがあります。

彼のtwitterで「自問清掃」についての

いくつかのツイートがあり、

そのなかに次の言葉があったのです。

 

小学校時代から「強制ただ働き」を

「これはあなたの成長のためなんです」

なんてごまかされているのだから、

職場がどんなにブラックでも

「これを我慢するしか生きる道がない」

って思ってしまう人が

たくさんいるのも当然だよね。

でも、本当は、

我慢する必要なんてないんだからね。

ブラックな環境を我慢する必要はない、

という点においては

異論はありませんが、

学校で行なわれる清掃は

「強制ただ働き」という言葉が

適切なのかという点です。

 

自分が使ったところくらい

自分で綺麗にしよう、とか

きたときよりも美しく、とか

私個人は当たり前だと思うのですが、

「強制ただ働き」なのでしょうか。

 

諸外国では、掃除は児童生徒が

行なうものではなく

そのために雇われた人がいます。

学業に専念するという観点や

雇用を生むということからすれば、

児童生徒の清掃は

なくてもいいのかもしれません。

 

一方日本では、清掃を指導すること自体が

教育の現場に求められている部分もあります。

さらに、みんなで使う公共物を清掃することが

社会性、公共心を育むという道徳的観点からも

学校教育に清掃が組み込まれる理由に

なっているのかもしれません。

 

さて、では

児童生徒による清掃は「強制ただ働き」なのでしょうか。

 

やりたい人はやる、

やりたくない人はやらない、

という自主性は尊重すべきなのか。

 

掃除道具を

ほうきや雑巾から

自動お掃除ロボットに変えればいいのか。

 

そもそも、誰が掃除をすべきなのか。

 

考えてしまいます。

が、

サッカー日本代表の使った後のロッカールームや

日本代表サポーターの試合後の観客席の

きれいさが報じられているのを見れば

掃除の習慣づけが

悪いものではないと感じます。

 

よし、志事すんぞ!

さぁ、いきましょー!

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