某宗教団体教祖の死刑
投稿日:2018年7月7日
催涙雨の福島伊達。
代表渡邉が更新です。
7月7日、七夕に降る雨を催涙雨といいます。
牽牛織女が会えないことで流す涙といわれています。
西日本はさめざめと泣くのではなく
号泣の様相を見せています。
災害にあわれました皆様に
お見舞い申し上げます。
さて、某宗教団体の教祖信者が、
死刑となりました。
自分たちが若い頃に、
新興宗教が話題となり、
なかには傾倒する人もいたわけです。
また、その表面的なキャラクターを利用し
TVにも出てきていました。
一時は時の人のように扱われ、
迫害を受けるのは、キリストと同じだ、
などとうそぶいていましたが、
あのような凶悪な事件を
引き起こしました。
信者の中には高学歴の人多く、
勉強ができても、ろくなことがない、などと
勉強をすること自体が
まるで悪であるかのようにも言われました。
あの時代を見てきて、
宗教について自分なりに学ばせてもらいました。
彼らは輪廻転生、生まれ変わりを信じていました。
それ自体は、己だけに当てはめれば、
悪いことではなく、
苦難を乗り越える力にもなりえます。
しかし、それを他人に、しかも善意で当てはめたわけです。
現世で苦しめば苦しむほど、
来世はよくなる。
そう信じるからこそ、
享楽にふける現代人を
苦しめてあげれば、
来世で報われると本気で信じたわけです。
つまり苦しませることでは”悪”ではなく
彼らにとっては”善”だったのです。
宗教によって、洗脳されていた、といえばいいのか、
盲信していた、といえばいいのか
分かりかねるところですが、
正しいといわれていることに疑問を持つことなく、
追従する愚かさがみてとれます。
宗教が、ずべて悪いとは思いません。
ですが、何のために宗教があるのか、
考えさせられた事件でした。
そして、
価値観を強要し、盲信、追従する怖さ、
それは戦時中の軍国主義も同様、
狂気が当たり前になる集団・社会の危うさを
平和ボケした現代に感じさせられました。
まもなく平成が終わろうとしています。
我々を震撼させた、あの事件を
いろいろな角度から
検証しなければいけないと感じます。
次の時代に悲劇を起こさないために。