用語は入試のためにあるのではない
投稿日:2020年1月12日
今日は伊達市で成人式が行われました。
朝から、卒業生の保護者様から
振袖を着た塾生の写真を送っていただいたり、
スーツを着た塾生たちが顔を出してくれたり、
うれしい時間を過ごしています。
みんなのご多幸を心から祈ってます。
新成人と話をしてて
「振袖着た子も多かったか?」と聞くと
「はい、男子でも着てました!」と。
ん?ああ、そういう時代なのか。
俺が古いんだなぁ、と反省してたら、
振袖=和服、だと勘違いしてたらしく、
羽織袴も振袖だと思っていたようです。
まったく、もう、です。
言葉の意味を、もっと教えていかないと、と
考えてしまいました(笑)
さて、中学生に公民を教えていても、
教科書に書かれている用語の持つ意味を
大人は一緒に考える必要性があると
思ってしまうのです。
終身雇用や年功賃金といった雇用形態が
成果主義や能力主義に変わる企業も増えてきている。
最近では正規雇用から
非正規雇用の割合が増えてきている。
教科書の字面だけ見ていると
あ、そうなのか、位かもしれませんが、
そこに
どうしてそういった変化が起きているのか、
どんな考えや感情が含まれているのか、
といったことが
読み取れないと思うのです。
そこにはメリットもデメリットもあります。
メリットを享受する人も
デメリットに苦しむ人もいます。
大人は自分の経験や知識から、
用語を取り巻く状況を含めた意味まで
一緒に考えていかないと
知ってるだけで、
使えない知識になるように思います。
西洋では一般的な成果主義や能力主義の
有用性も理解できますが、
日本の終身雇用だって、
悪くない制度だと思うのです。
どちらかが正解、ではありません。
今会社に必要な人材を手に入れるための
能力主義だってありです。
自分の会社で一から人材育成をしていく
という観点からすれば終身雇用だってありです。
「みんなはどっちがいい?」
答えは様々です。
それでいいんだと思います。
15歳の今の答えが
ずっと続くわけでもないでしょうし。
自分が就職するとき、
結婚するとき、
ひょっとしたら起業したとき、
また違う答えになるかもしれません。
用語は入試のためにあるのではなく、
生きていくためにあるのだと
感じてくれたらな。
今日は中3のテスト対策で
梁川校は開校しています。
今できる最大限を。
自分史上最高目指して。
よし、志事すんぞ!
さぁ、いきましょー♪