志学白雲館の由来
「志学」は論語為政篇の中にある一節「吾十有五而志於学」から。志を持って学んでほしいという願いを込めて。
「白雲館」は江戸時代、保原の高子に白雲館という、知識人が集まるサロンがありました。そこでは、漢文や漢詩をはじめ、俳句や書、画をたしなむ場として、多くの階層の人が集まっていました。この白雲館は近郷だけでなく、遠くは江戸の門人にも知られる文化機関でありました。白雲館の出版した本には山東狂人こと太田南畝も名を残しています。大学時代に白雲館について学んだ縁があり、この歴史を引き継ぎたいという思いと、雲の真っ白で、自由で、高いイメージが子供たちの将来に合うと考えたため名づけました。